Tuesday, December 6, 2011

秋の花々


「秋の花々」飯田和子作

今年の日展に入賞した作品です。

私の英語のサイトにも出しました。この日本語のサイトにはコメントがありませんが英語の方は面白いコメントが時々あるのでお知らせします。参考にしてください。

http://keiko-amano.blogspot.com/2011/12/award-winning-kana-shodo-art.html

http://redroom.com/member/keiko-amano/blog/award-winning-kana-shodo


古今和歌集から6首抜粋したそうです。この構成で5首目の歌が5首目に選ばれているというところがこころにくいと思ったのですけれど私だけでしょうか。あの首が最後から二番目にきているというのはとってもすてきだと思いました。


一首目はNo.234:女郎花吹きすぎてくる秋風は 目にはみえねど香こそしるけれ

ニ首目はNo.236:一人のみながむるよりは女郎花 わがすむやどにうゑて見ましを

三首目はNo.237:をみなへしうしろめたくも見ゆるかな あれたるやどに一人立てれ


四首目はNo.240:やどりせし人のかたみか藤袴 わすられがたき香ににほひつゝ

五首目はNo.246:ももくさの花のひもとく秋の野に 思ひたはれむ人なとがめそ

六首目はNo.264:ちらねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は 今は限りの色と見つれば

Tuesday, November 29, 2011

ジャズダンス



振付けが終わったときの吉田高子先生です。場所は横浜朝日カルチャー。

この踊りはかっこいいですよ。私は自分でできなくても教室にいるだけで楽しくなってきます。音楽も抜群です。ストレッチのときにアラビアンの感じがするモダンでセクシーな音楽がかかり気分が一転します。





彼女たちのパワーすっごーいですよ。見てて気持ちいいくらい。私はいまのところ体も頭もついていけないけれども混ぜてもらっています。リハビリのつもりで加わりましたが気持ちは若い時舞台に立った気持ちになってくるから不思議です。マラソンとかジムに通うとかのマインドレスの運動は苦手なのでやはりダンスです。終わったら汗びっしょり。気持ちいいですよ。





音楽はチャイコフスキーの白鳥の湖だと思っていたら、女性のしくしくとした泣き声が。と思ったとたん、どどどっとロックに変身!右向いたと思ったら左に突進のステップ。



白鳥の踊り。




このひじてつをくらわすようなポーズかっこいいでしょ。これがなかなか難しいのです。来年はこれをマスターするつもりです。



ひじてつ何度もしてごめんなさい、と謝っているわけではありません。この日、最後までの振付けが終わりました。おめでとうございます。

朝日カルチャーの責任者の方も含めて皆さん写真の許可ありがとうございました。

Saturday, November 12, 2011

「サンマの開き」というだんご


                                                                                                      天野啓子  




床の間から対角線にある壁に­「サンマの開き」と呼んでいるアジの開きだろうと思われるゴッホのような油絵が掛かっている。この絵は近所に住んでいる人が描いたものでその画家が偶然に私と同じクラスの鈴木かずこちゃんの大きなお兄さんでその隣の家が親戚にあたり、そこがおだんご屋さんであんこを作っていて季節のお菓子を作ってもらうのにちょうどいいのでたずねたら、そんな上等なところではないからとけんもほろろに断るので研究すればおだんご屋だって季節のお菓子くらい作れるのにと母は残念そうに言った。とにかくそういう事情でおだんご屋が他を紹介してくれて季節のお菓子をその知り合いか遠い親戚かで作ってもらってそれを受け取りに鈴木さんちへ行ってサンマの絵に出くわしたという話。でかした!と母はサンマを見てこぶしを手の平で打って意気投合してその場で絵をゆずってもらってほんとはお茶室にこうゆうもん掛けるべきじゃないんだけど、とかいいながら、ここがちょうどいいわ、と言ってお茶室に入ったところの壁に掛けたというのが事のてん末。その絵は印象派のロマンと落語の庶民性とがかけあわされて三乗になったような魅力あふれる絵でうちを訪れる人は畳に手をついてお辞儀して右足をお茶室に踏み入れるとしばし直立不動。それからアハハと笑う。

Monday, October 31, 2011

ごみ

人間はごみを出す
どんなにエコの人でもごみを出す
お花をいける人も、野菜を作る人も、詩を書く人もごみを出す

花は散り、野菜はくさり、葉は落ちていって、風はごみをふきとばす
そんなこんなでみんなごみになる



http://contemporaryhorizon.blogspot.com/2011/10/olc-525sept-oct-2011-editie-curenta.html

この詩が上記の文芸雑誌に英語とルーマニア語でのりました。横浜でストロンチウムが見つかったとかフィリピンから持ち帰った戦没者のお骨に現地の女性や子供のお骨が混じっていたとかやりきれない記事を読んでいるときに書きました。

Sunday, October 16, 2011

朗読とオカリナ


高坂頼子さんの例年の朗読会が今日南太田フォーラムでありました。植野さんは今回裏方にまわって声は聞けませんでした。しかし、さすが岩手出身の高坂さん。前々から聞きたかった方言がふんだんに聞けました。宮城の民話だそうです。とってもこころがなごみました。おーいそーらほーいなんとか。おんぼうふってちゅっちゅっ!もう忘れてしまいましたが一緒に歌って楽しかったです。宮城と岩手の南半分は伊達藩で言葉が似ているそうです。面白いですね。勉強になりました。最近青森からのラジオ放送を聞いていて、方言に平安時代か古いものが保たれているそうです。伊達藩もそうなんだろうなと思いました。ふんだんにという言葉を辞書で調べたら、高坂さんが民話のなかで使ったふーだんという言葉が転じてふんだんになったと書いてあります。ふーだんは不断です。おっもしろいですねーっ。関東のほうがあとということですね。


昔の朗読劇のお仲間です。写真とらないでなんて野暮なこと言いません。だから私好きなんです。



福田多美子さんが駆けつけて下さってオカリナの吹奏楽が聞けました。私は知らなかったのでびっくりです。素朴で良い音色です。


木でできているので日本のはコカリナというそうです。コは木のコです。



いろんなコカリナがあります。杉、栗、松などです。




先生もお弟子さんも大熱演でした。音がかなり響きました。素朴を超えた素朴とはなんと表現したらいいでしょうか。


このコカリナはけっこう大きい変わった形をしていました。
低い良い音です。


やはり日本ですね。良いお道具には良いおべべを、ということです。今の若い人はおべべって知らないでしょうね。着物のことです。見ただけでぬくもりを感じませんか。いいですね。





これは確か、栗の木から作られたものです。ヨーロッパにはないでしょうね。日本製です。ひとつひとつ版権があるそうです。どうやって中をくりぬくのでしょうね。

来年をお楽しみに。

Monday, October 10, 2011

私の宝物  水屋手順



亡くなった母の虎の巻です。母のお茶の本は全部目を通していますが、昔の古いお茶事の本にはこのような分かり易い手順は書いてありません。きっとそれで自分なりに何度も失敗しながら初めから終わりまでの手順を書いて清書したものがこの巻物なんだと思います。字は下手だといつも言ってましたから誰にも見せたことないはずです。一度これにそってお茶事をアメリカでしたことがあります。すっごく大変でした。お客様は息子と娘と一緒に働いていた台湾人の友人ひとり。間違えても彼らにはわからないので助かりました。







Tuesday, September 27, 2011

こころゆたかに



先週の土曜に伊藤進先生の書のワークショップに参加しました。その時のお隣になった清水久美子さんの作品です。豪快であったかい書なので写真を撮らせてもらいました。とにかく、書いて書いて書きまくってすっごく楽しいワークショップでした。



天野啓子


おそまつ!

Tuesday, August 16, 2011

何だかわからない英語

たいていの英語の文章は問題なく読めますがときどきわからないのがあります。最近、

フェイスブックに娘が書いた文章を見て考えてしまいました。なにこれは?


"Just sprung Ipsus from doggy jail and was browbeated into microchipping him."



どうしてもわからないので尋ねたら婚約者が答えてくれました。娘はほんのたまに書くだけで文章も俳句のように短いようです。婚約者のほうはまめな人なので一安心。下記が彼の説明です。

Keiko- Ipsus is our dog's name. It’s Latin, meaning, "one self". Doggy jail is where Animal Control took him, when he ran away from home, via a hole in the fence in our backyard. Browbeated is "guilt"and "responsibility" that the Animal Control people made Mikki feel for not having a "Microchip" in him... which is a small computer chip that they "installed" in the back of our dog's head so that he can always be identified if caught by Animal Control again.

犬が保護されて逃げないように管理をしっかりするように言われたのでしょう、それでマイクロチップを犬の頭の後ろに埋めたようです。犬は可愛いけれど世話が大変ですね。新しい柵でも穴を掘って逃げるか遊びに行ってしまいます。でも人間の子供はもっと大変ですから、いい経験じゃないかと私は思っています。

以上、わからないときはたずねましょう。

Saturday, May 28, 2011

54回東方書展




54回東方書展が池袋サンシャイン文化会館で開催されています。明日29日までです。
素晴らしい書がいっぱい集まっていてとっても触発されて帰ってきました。あまり素敵なので写真は随分撮ったのですが残念ながら蛍光灯が光ってどれも上手に写りませんでした。来年はぜひ早い時期にお手伝いという名目?!で行かせて頂いて作品をガラスに入れる前にひとりひとり許可を得て写真を撮らせて頂きたいと思います。

下記は私の英語のサイトです。http://keiko-amano.blogspot.com/2011/05/shodo-exibit.html
かな書道は私のブロッグでは一番人気で各国の人々が見ています。来年はいろいろな作品を世界に紹介したいと思います。

Saturday, April 2, 2011

気になる言葉

気になる人


ひとつ

3月11日、地震のあと横浜駅から歩いて帰る途中きこえた若い男女の会話。

「君んち、災害のとき大丈夫?」

「うちは、車あるから」

地震直後、被災各地で渋滞がおこり、車列ごと津波に流された。列に並んでいた車ばかりではないだろうけれど、約14万6千台ほど流されたと昨日の夕刊に書いてある。むろん、車で命拾いした人もいるけれど。



ふたつ

何日か前の新聞である投書を読んだ。防衛大学の卒業式の記事を読んで、卒業生は卒業したらどうするのか尋ねられたら、幹部候補の訓練が4月から始まると書いてあるという。その人はこの国家の危機であるときにどうして卒業生は救援に行かないのだろうというようなことが書いてあった。きっと多くの人はその意見のように目先のことしか考えないんだなと思った。

もう10万人以上の経験ある救援隊員が現地に行って活躍していると聞いている。9.0 の地震、30 メートルだか聞いたこともないような大きな津波、福島第一原発の事故、こんな予想外のことが現実にあった、あるわけだから、スケジュール通り幹部候補生が育っていないと日本の先はもっと暗くなる。

友達に防衛大生の息子がいる人がいる。地震のときから全然音信がない。投書を読んだ次の朝、10時半ごろさっそく電話した。

「あら天野さん、アメリカに帰ったと思ってたわ」

「そうでしょ。帰っちゃったと思ってると思ってた」

「だって外人はみんな本国にもどってるって」

「どうせみんなそう思ってるのよ」と私は言って、新聞の例の投書に対してどう思うか尋ねた。緊迫した息遣いのような感じがしたあと、

「あまのさん、きいて、きいて」と言って声が高くなる。「在校生はみんな寄付集めて、それが84万円にもなってそれを義援金として送ったのよ」

「そう」

「卒業生は候補生なんだから訓練が必要なの」

「そうよね」

「ね。その人に言ってちょうだい。自衛隊に志願するのは死を覚悟で行かなきゃならないだって」というようなことを言った。

「うんわかる。うちはむかし軍人が多かった家だから。はい。書いとく」と私は答えた。

「わたし食事の支度があるから、じゃね」と言って彼女は電話を切った。


細かいことはいいけれど、どうも私の言ったことをちゃんと聞いてなかったような気がした。まあいいや。でも、書いてくれと頼まれなくても書きたいから電話したのだけれど。ただそのまま書くのじゃ面白くないなぁ、何と書こうかなと思いをめぐらしていたら、その友人からイーメールが届いた。

「ごめんね。感じ悪い電話の切り方して、、、天野さんのことを怒ったわけじゃないからね」というようなことを書いてきた。なかなかいいところのある人だ。だから付き合っているのだけれど、贅沢を言わせてもらえば、素晴らしい幹部候補生の母親なのだからもっと自信を持ってもらいたい。



みっつ

電源節約について、外国人が言ってます。確かフェイスブックで読んだんだけれど、日本には自動販売機が多いって。なるほど。



Tuesday, January 18, 2011

リービ英雄 「我的日本語」  Part 3




リービ英雄が日本人になったと思った時



リービ英雄が日本人として認められたいのに、「結局認められないんだ」というようなことを何度も繰り返し書いている。でも日本人も彼と同じように、ちゃんと認められたいという気持ちが強いと思う。その意味ではお互い変わらない。

ただ日本人は、選択肢なく、かつ努力しないで生まれてしまったわけだから仕方がないというか罪はない。少し努力すれば国民になれるアメリカからきて不公平だと言っても、アメリカの標準に従うのが当然だと言っているように聞こえる。それでは効果は逆方向に行ってしまう。だから、日本国籍を取得するための効果的方法とはなんだろうかと考えたけれど、いい考えはまだ浮かばない。

誤解されそうな言い方しかできないけれど、認められたいという気持ちは、日本でもアメリカでも、私にもあって、見えないようでも誰でも奥底に秘めているものだと思う。よくよく考えていくと、結局のところは自分自身が自分を認めるか認めないかの問題でもある。「結局日本人としては認められないんだ」というリービ英雄の心情をむき出しにした表現に接して特にそう考える。彼も気がついていないはずはない。彼だって自信なさそうな日本人の顔をかいま見たことがあるだろう。自分の価値は自分が一番よくわかっているはずだ。

普遍的な感情である、認められたいという気持ちが日本人としてはっきり現れるのはこういうときだと思う。正直で尊敬に値する人でも、こういうことをよく言うのでがっかりする。例えば、「いやー、まだまだですよ。10年?冗談じゃない。いやー20年なんてまだ赤ん坊だ。30年で小学校に入ったばかりのようなもんだ。40年でまあ上の学校ってとこかなぁ。私?70才になりますがね。まだまだひよっこです。一人前とは言えません。」とか控え目というか自分を卑下して言うのか、何才になっても同じ態度を繰り返す。自分をいましめるのはいいけれど、そんなのは自分の家で寝るまえの独り言にしてもらいたい。

つまり、私がここで言いたいのは、リービ英雄のストレートな言葉は根っこの部分では日本人と同じことだということ。政治と法律がかかわっている部分はわからないけれど、彼は普通の日本人以上に日本のことを勉強しているし、とっくに立派に日本人じゃないかと言いたい。でもそういうのにぬきうちテストがあったら日本人のほとんどが落第するだろう。そんなことになったらすごい混乱になる。ところで混乱というと、日本人は非常に混乱を嫌う。ほんの少しなにか違うだけですぐ混乱する。「天野さん、混乱させるようなこと言わないでください」と三菱フソーの課長さんに言われたことがある。説明したかったけれどもっと混乱するおそれがあったから黙っていた。そういうことがいろんなことの決定を遅らせている理由かもしれない。

それで私の眼からリービ英雄が日本人になったのはいつかとたずねられたら、こう答えたい。1993年頃のこと。そのうちに私はアメリカでのシステムプログラマーの仕事をやめてどこにいてもできる翻訳の仕事で食べていこうかと甘く考えていた。そんなとき、たまたま横浜みなとみらいで翻訳者の会議があったので、どんな就職口があるのか、翻訳者とはどんな人たちなのか興味あって参加してみた。そういう集まりでは一番大きいものだったと思う。その席上にリービ英雄が現れ講演した。日本語で書くアメリカ人ということで私も興味もって耳をすました。

スピーチの始めに「この席に集まっている人たちは、日本語を使うひとの中でもレベルの高い人たちだから言うんですけれど」というようなことをドンと言った。はっきりものを言う人だなと思って好感をもった。聴衆はクスクス笑っている。きっと翻訳者の中でレベルの差が激しいのだろう。プロの翻訳者といっても私のは本業ではなかったからもっと深いものがあるのだろうと思った。

そうしている内に万葉集の話しになり、すごいな、私は人前で万葉集を読んだなんて口が裂けても言えない。茶道教授の母からは勉強が足りないといつもなじられていた。そうしたら、文脈は全く忘れたけれど、またどんな人のことか知らないけれどリービ英雄が、「教養ないんだから」というようなことを口走った。たぶん普通のある程度教育ある日本人のことだろう。彼はまるで母が私にお説教するようにそう言った。

ギクッ。

ああ、アメリカ人も日本語がここまで達者になると日本人になってしまうんだ。アメリカ人でいればいいのに。外交的なアメリカ人のいいところを失っちゃもったいない。そうひとりの日本人を思わせたときがリービ英雄が日本人にもうなっていたときだと私は思う。

それでそのとき「星条旗の聞こえない部屋」は読んで面白かったけれど、自分の教養のなさが恥ずかしくなったからそれ以上彼の本は読まなかった。ところがつい最近、事故にあったように「アイデンティティーズ」そのほかのリービ英雄の本をたてつづけに読むことになった。最近はバイリンガルのライターの話しがよく目につく。こちらが探しているからだろう。今月号のPoets and WritersもThe Bilingual Imagination という題のエッセイが出ている。作者はスペイン語、英語のバイリンガルのAnna Menendez。言語の比較の話しは面白い、でも日本語と他言語の比較のほうが違いが大きいだけもっと刺激的だ。

Monday, January 17, 2011

リービ英雄 「我的日本語」  Part 2


ミニチュア茶道具 2x6cmくらい 


美しいと思うこころ

美しいと思うこころは俳句のようにシンプルだけれど、ある意味で俳句のようにむづかしい。50頁をめくるとリービ英雄はこう言う。

「。。。大和三山も。英訳ではthe three Mountains of Yamatoとなっているが、これはどう見てもthree hillsとしか思えない。表現された風景と実際の風景の差に直面し、ぼくはひどい失望を覚えた。」

私は日本人だからリービ英雄に同感するわけにはいかない。けれど上記の思いはよくわかる。私がアメリカに来たばかりの当時、1970年代、ワシントンの吉野桜の風景をテレビで見るたびに、もしかして日本のよりきれいなのかもしれないと思ったことがある。それからも美的感覚については何度も考えさせられることがあった。

ある日、10マイルほどはなれたところに住んでいるアメリカで知り合いになったお友達のところに行ったとき、その近所の日本人ガーデナーの家をたずねた。お庭の草木をながめながらその家の奥さんとお喋りをしていたとき、私のお友達が「あまりお花を植えてないのね」とその奥さんに言った。たしか一、二本の白いお花が咲いていたくらいであとはほとんど緑のバリエーションだったと思う。奥さんは「お花がいっぱい咲いてるのいや。一本だけきれいに咲いているのがいい。」という意味の言葉をとぎれとぎれにつぶやいた。その時分、私は毎週植木屋さんに通ってお花を競って咲かしていたときだったから、はっとした。そしてそのときの奥さんの素朴な態度、美しいものを見るこころに尊敬の念をもった。茶道をやっている母に反発してアメリカに住んでしまって、家を買ってからそのときまでバラ80本、球根100個と、じゃんじゃかばかばか植えていてもう植えるところないというところまできていたときだったから、すごく反省するいい機会だった。母もそういうふうにお弟子さん、他人をはっとさせていたんだなぁと思った。

きっと古代の風景はどこも、日本も外国も、美しかったのだろうけれども、現代の日本のせせこましい都会はどうころんでも美しいとは言えない。それには戦争があってそのあとの外国の人には想像つかないだろう住宅難があって、それに輪をかけるように都市計画に統一性が欠けていたとかいろいろな理由があるだろうけれど、美しいと思うこころはなんにからも影響されずほかの人の価値観と比較することもせず、ただただ大事に持ち続けることができる。