この度、私、天野啓子がマルチ言語文芸雑誌、コンテンポラリーリテラリーホライゾンの日本での責任者になりました。この雑誌はルーマニアで発行しています。詳細は下記をご参照ください。
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Tuesday, November 30, 2010
Thursday, November 25, 2010
リービ英雄 「アイデンティティーズ」
118頁をめくると、リービ英雄は言う。
「「日本」は常に、「日本に在する」ことよりも「けっきょくは何人(なにじん)なのか」」という発想の仕方をいつまで経っても卒業しない,と。
厳密には違うのかも知れない。けれど、日本人になってしまいたいらしい。なる薬があったら飲みたいそうだ。日本人になっちゃったら価値なくなると思うのだけれど。読者は、彼も含めてどう思うだろう。意見が聞きたい。文面から、対等に差別なく自分の文章を読んでもらいたいという気持ちが伝わってくる。それは私もよくわかる。
でも矛盾している。リービ英雄の文章が略歴なしで、特にアメリカ人だという事実なしに読まれた場合どうなるだろう。「星条旗の聞こえない部屋」は売れただろうか。売れるどころか出版もされてなかったと思うのだけれど。その後の「越境」、「天安門」、「日本語を書く部屋」、「ヘンリーたけしレウィツキー」、「千々にくだけて」などもつい最近なのだけれども一気に読んでしまった。面白くなかったらこんなに読まない。
同じ頁の三段目にこう書いてある。
つまり、「アメリカ人として生まれた」ことを抹消しなければ日本語で書いたということにはならない。しかし逆に、「日本人として生まれた」ことを裏付けるだけの文章も、日本語でかいたということにはならないのではなかろうか。
読者は上の文章をどう解釈するだろう。私は考えてしまった。はじめ何度も何度も読んで、「ああ悪文だ。具体例でも引用したら良かったのに」と思った。一番目の文章に含みがあるようで明白に書かないところが日本人的だとも思った。それで日を改めてまた同じところを何度も読んだら、彼が置かれている立場、日本人の中でありがちな数々のシーン、言いそうなコメント、そして私も含めて認識不足で軽率な意見のイメージがはっきりしてきた。
「越境」のなかの対談などにもそういう場面が少なからずとも見え隠れしている。例えば、水村美苗との対談でバイリンガルについて話しているとき、彼女がJoseph Conradを引き合いに出すところ。ポーランド語からの英語のバイリンガルと英語からの日本語のバイリンガルは違うと彼は一応反発する。しかし言及しない。そこは重要な点だ。結局、水村美苗はJoseph Conrad自身のことじゃなくて物語の中の人物が土着の人間になっていくことをリービ英雄にかけて話題にしているのだと訂正する。両方とも興味深い点だ。それが両方ともうやむやで終わる。徹底的に議論すればいいのに。本音を聞きたい。こわがっていたら良いものなんて書けない。
ところで爆発的に愉快に感じたところがある。ウェブにあるNHKのインタビューの記録に書いてあったのだけれど。日本人が意識して遠慮するところを、彼は、万葉集のある歌の「かも」の部分は現在の「かもしれない」の「かも」だと強調して意見を述べたと書いてある。それを読んで私はニコッとした。現代の多くの日本人が考えていそうでそういう意見を言わないところにもってきて代表して言ってくれた。彼の言葉に、文学への情熱がほとばしる。日本人の大先生はこれに対してどんな純粋で情熱をもった言葉を返せるだろう。
私にとって一番面白いのはやはり視点で、日本人だったら言わないだろうなとか、やっぱりこういう感覚はないだろうなと思うところだ。例えば、山上億良が渡来人だったという説に関してYouTubeで彼は興奮して語っている。聞いていて私もなるほどと思った。でもそのなるほどは、彼の立場に立って思ったのであって、日本人としてはそんな興奮するような材料ではないとも思った。
私の経験から言うと、横浜で小、中、高校といつもクラスメートに朝鮮人、中国人、台湾人の子供もいて家の近くに住んでいて一緒に勉強し遊んだ。そしてその半分ほどは日本名だった。法律上、日本人だったかそうじゃなかったかいつ日本名になったのか知らない。大人になってそしてアメリカに行って、その数はもっと多いはずだと気がついたのは大学のときだった。中学のときのお友達が母親は台湾人だと教えてくれた。「あらそうだったの」と答えた。「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と喉まで出ていたけれど言わなかった。そして、「日本人だけどね」とその友達は付け加えた。そのとき私はタイで生まれた中国人と付き合っていた。だから言いやすかったのかもしれない。
日本では人種のことだけでなくすべてが万事そういう風にジメジメしている。でも私もそれに染まっているから尋ねない、反応しない、できないことがあるんだと思う。その点アメリカでは心は太陽でいられる。だから英語で書くようになったのかもしれない。そういう訳だから、日本では古代から渡来人がいろんな形で入ってきているのだからDNAを調べたら皆が皆、渡来人の子孫だとわかってもあまり驚くことじゃない。200年と2000年以上とでは期間の差があるけれど結局は同じことじゃないかと思う。
リービ英雄が出現する前は、西洋人で単独で日本語が書ける人はいなかったようだ。日本語で話せる人は結構いるけれども。これは大きな違いだ。もちろん書いたからといって深く考えているとは限らないけれど、でも書かなければ言葉のすみずみまで感じとれないし深いところでの発見はありえない。ラフカディオハーンは日本語でどの程度書けたのだろう。きっと奥さんの助力が大だったのだろう。
奥さんといえば、リービ英雄の本を8冊ほど読んで感じることは、むずかしく、閉ざされている日本の社会で耐えて耐えて、涙ぐましい努力の結果、苦しいけれど自力で意義ある日本語の本を書いて、そこに到達するために、わざと奥さんをもらわなかったんじゃないかと、全く人のこと余計なお世話なんだけれど、すみません、ふとそういう考えが私の頭によぎった。新渡戸稲造、鈴木大拙にしても自分たちが英語で書いたとき西洋人の妻が大活躍しただろうし、いまでも翻訳者の中には日本人妻、または夫とペアになって翻訳している人が多いようだ。もちろん悪いことではない。仲睦まじくお互い勉強になって高め合うのはうらやましい。作家でもまれに夫婦がいる。だから例外もあるのだけれど、とにかく真剣に書くということは、次のレベルもその次もエベレストに登るように自力でしか登れない。ライターのひとりとして言うと、それは自己満足で一人お墓に持っていくだけかもしれないけれどそれが面白くてやめられないんだと思う。
リービ英雄の本を読んでいてなにが楽しいかというと、考え、感じ方の違いを発見してその中につながりを見出せるところ。それが無上に楽しい。いままでつながりを見つけるのに、たとえば貝塚茂樹の本などでは、地質学者、地理学者の父親が息子をつれてフィールドワークに行き、途中で石が重なっているところがあって父親がそれを指してこれは外国からきた信仰なんだよと話す場面などとっても面白いと思った。読んだあと気をつけて見ていると石を重ねてあるのはよく見かける。人類のつながりから感動が押し寄せてくる。
最近は外国へ全然行かないけれど(アメリカは別)、以前行ったときつながりを感じることによく出くわした。何十年も前にタイにいったときのこと。私はタータンチェックが好きだけれど、タイ人、インド人がチェックの布を体に巻いている。なあんだ、タータンチェックも市松模様ももとはインドから来たのかと思った。それが何だと言うわけじゃない。言えることはつながりを発見するのは楽しいということ。タイで見た色あせたチェックの布も、立派なウールのタータンチェックも母が作ってくれた赤い市松模様の着物もつながりがある。以前、雑誌でタイの寺院の幡を見たときは興奮してブロッグを書いてしまった。あれは大発見だった。
http://www.redroom.com/blog/keikoamano/ban-bandwo-and-banner
リービ英雄の本を読んでいるとそういうもろもろのつながりを視点の中に見つける。彼の言うバイリンガルエクサイトメントだ。
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