Saturday, May 28, 2011

54回東方書展




54回東方書展が池袋サンシャイン文化会館で開催されています。明日29日までです。
素晴らしい書がいっぱい集まっていてとっても触発されて帰ってきました。あまり素敵なので写真は随分撮ったのですが残念ながら蛍光灯が光ってどれも上手に写りませんでした。来年はぜひ早い時期にお手伝いという名目?!で行かせて頂いて作品をガラスに入れる前にひとりひとり許可を得て写真を撮らせて頂きたいと思います。

下記は私の英語のサイトです。http://keiko-amano.blogspot.com/2011/05/shodo-exibit.html
かな書道は私のブロッグでは一番人気で各国の人々が見ています。来年はいろいろな作品を世界に紹介したいと思います。

Saturday, April 2, 2011

気になる言葉

気になる人


ひとつ

3月11日、地震のあと横浜駅から歩いて帰る途中きこえた若い男女の会話。

「君んち、災害のとき大丈夫?」

「うちは、車あるから」

地震直後、被災各地で渋滞がおこり、車列ごと津波に流された。列に並んでいた車ばかりではないだろうけれど、約14万6千台ほど流されたと昨日の夕刊に書いてある。むろん、車で命拾いした人もいるけれど。



ふたつ

何日か前の新聞である投書を読んだ。防衛大学の卒業式の記事を読んで、卒業生は卒業したらどうするのか尋ねられたら、幹部候補の訓練が4月から始まると書いてあるという。その人はこの国家の危機であるときにどうして卒業生は救援に行かないのだろうというようなことが書いてあった。きっと多くの人はその意見のように目先のことしか考えないんだなと思った。

もう10万人以上の経験ある救援隊員が現地に行って活躍していると聞いている。9.0 の地震、30 メートルだか聞いたこともないような大きな津波、福島第一原発の事故、こんな予想外のことが現実にあった、あるわけだから、スケジュール通り幹部候補生が育っていないと日本の先はもっと暗くなる。

友達に防衛大生の息子がいる人がいる。地震のときから全然音信がない。投書を読んだ次の朝、10時半ごろさっそく電話した。

「あら天野さん、アメリカに帰ったと思ってたわ」

「そうでしょ。帰っちゃったと思ってると思ってた」

「だって外人はみんな本国にもどってるって」

「どうせみんなそう思ってるのよ」と私は言って、新聞の例の投書に対してどう思うか尋ねた。緊迫した息遣いのような感じがしたあと、

「あまのさん、きいて、きいて」と言って声が高くなる。「在校生はみんな寄付集めて、それが84万円にもなってそれを義援金として送ったのよ」

「そう」

「卒業生は候補生なんだから訓練が必要なの」

「そうよね」

「ね。その人に言ってちょうだい。自衛隊に志願するのは死を覚悟で行かなきゃならないだって」というようなことを言った。

「うんわかる。うちはむかし軍人が多かった家だから。はい。書いとく」と私は答えた。

「わたし食事の支度があるから、じゃね」と言って彼女は電話を切った。


細かいことはいいけれど、どうも私の言ったことをちゃんと聞いてなかったような気がした。まあいいや。でも、書いてくれと頼まれなくても書きたいから電話したのだけれど。ただそのまま書くのじゃ面白くないなぁ、何と書こうかなと思いをめぐらしていたら、その友人からイーメールが届いた。

「ごめんね。感じ悪い電話の切り方して、、、天野さんのことを怒ったわけじゃないからね」というようなことを書いてきた。なかなかいいところのある人だ。だから付き合っているのだけれど、贅沢を言わせてもらえば、素晴らしい幹部候補生の母親なのだからもっと自信を持ってもらいたい。



みっつ

電源節約について、外国人が言ってます。確かフェイスブックで読んだんだけれど、日本には自動販売機が多いって。なるほど。



Tuesday, January 18, 2011

リービ英雄 「我的日本語」  Part 3




リービ英雄が日本人になったと思った時



リービ英雄が日本人として認められたいのに、「結局認められないんだ」というようなことを何度も繰り返し書いている。でも日本人も彼と同じように、ちゃんと認められたいという気持ちが強いと思う。その意味ではお互い変わらない。

ただ日本人は、選択肢なく、かつ努力しないで生まれてしまったわけだから仕方がないというか罪はない。少し努力すれば国民になれるアメリカからきて不公平だと言っても、アメリカの標準に従うのが当然だと言っているように聞こえる。それでは効果は逆方向に行ってしまう。だから、日本国籍を取得するための効果的方法とはなんだろうかと考えたけれど、いい考えはまだ浮かばない。

誤解されそうな言い方しかできないけれど、認められたいという気持ちは、日本でもアメリカでも、私にもあって、見えないようでも誰でも奥底に秘めているものだと思う。よくよく考えていくと、結局のところは自分自身が自分を認めるか認めないかの問題でもある。「結局日本人としては認められないんだ」というリービ英雄の心情をむき出しにした表現に接して特にそう考える。彼も気がついていないはずはない。彼だって自信なさそうな日本人の顔をかいま見たことがあるだろう。自分の価値は自分が一番よくわかっているはずだ。

普遍的な感情である、認められたいという気持ちが日本人としてはっきり現れるのはこういうときだと思う。正直で尊敬に値する人でも、こういうことをよく言うのでがっかりする。例えば、「いやー、まだまだですよ。10年?冗談じゃない。いやー20年なんてまだ赤ん坊だ。30年で小学校に入ったばかりのようなもんだ。40年でまあ上の学校ってとこかなぁ。私?70才になりますがね。まだまだひよっこです。一人前とは言えません。」とか控え目というか自分を卑下して言うのか、何才になっても同じ態度を繰り返す。自分をいましめるのはいいけれど、そんなのは自分の家で寝るまえの独り言にしてもらいたい。

つまり、私がここで言いたいのは、リービ英雄のストレートな言葉は根っこの部分では日本人と同じことだということ。政治と法律がかかわっている部分はわからないけれど、彼は普通の日本人以上に日本のことを勉強しているし、とっくに立派に日本人じゃないかと言いたい。でもそういうのにぬきうちテストがあったら日本人のほとんどが落第するだろう。そんなことになったらすごい混乱になる。ところで混乱というと、日本人は非常に混乱を嫌う。ほんの少しなにか違うだけですぐ混乱する。「天野さん、混乱させるようなこと言わないでください」と三菱フソーの課長さんに言われたことがある。説明したかったけれどもっと混乱するおそれがあったから黙っていた。そういうことがいろんなことの決定を遅らせている理由かもしれない。

それで私の眼からリービ英雄が日本人になったのはいつかとたずねられたら、こう答えたい。1993年頃のこと。そのうちに私はアメリカでのシステムプログラマーの仕事をやめてどこにいてもできる翻訳の仕事で食べていこうかと甘く考えていた。そんなとき、たまたま横浜みなとみらいで翻訳者の会議があったので、どんな就職口があるのか、翻訳者とはどんな人たちなのか興味あって参加してみた。そういう集まりでは一番大きいものだったと思う。その席上にリービ英雄が現れ講演した。日本語で書くアメリカ人ということで私も興味もって耳をすました。

スピーチの始めに「この席に集まっている人たちは、日本語を使うひとの中でもレベルの高い人たちだから言うんですけれど」というようなことをドンと言った。はっきりものを言う人だなと思って好感をもった。聴衆はクスクス笑っている。きっと翻訳者の中でレベルの差が激しいのだろう。プロの翻訳者といっても私のは本業ではなかったからもっと深いものがあるのだろうと思った。

そうしている内に万葉集の話しになり、すごいな、私は人前で万葉集を読んだなんて口が裂けても言えない。茶道教授の母からは勉強が足りないといつもなじられていた。そうしたら、文脈は全く忘れたけれど、またどんな人のことか知らないけれどリービ英雄が、「教養ないんだから」というようなことを口走った。たぶん普通のある程度教育ある日本人のことだろう。彼はまるで母が私にお説教するようにそう言った。

ギクッ。

ああ、アメリカ人も日本語がここまで達者になると日本人になってしまうんだ。アメリカ人でいればいいのに。外交的なアメリカ人のいいところを失っちゃもったいない。そうひとりの日本人を思わせたときがリービ英雄が日本人にもうなっていたときだと私は思う。

それでそのとき「星条旗の聞こえない部屋」は読んで面白かったけれど、自分の教養のなさが恥ずかしくなったからそれ以上彼の本は読まなかった。ところがつい最近、事故にあったように「アイデンティティーズ」そのほかのリービ英雄の本をたてつづけに読むことになった。最近はバイリンガルのライターの話しがよく目につく。こちらが探しているからだろう。今月号のPoets and WritersもThe Bilingual Imagination という題のエッセイが出ている。作者はスペイン語、英語のバイリンガルのAnna Menendez。言語の比較の話しは面白い、でも日本語と他言語の比較のほうが違いが大きいだけもっと刺激的だ。

Monday, January 17, 2011

リービ英雄 「我的日本語」  Part 2


ミニチュア茶道具 2x6cmくらい 


美しいと思うこころ

美しいと思うこころは俳句のようにシンプルだけれど、ある意味で俳句のようにむづかしい。50頁をめくるとリービ英雄はこう言う。

「。。。大和三山も。英訳ではthe three Mountains of Yamatoとなっているが、これはどう見てもthree hillsとしか思えない。表現された風景と実際の風景の差に直面し、ぼくはひどい失望を覚えた。」

私は日本人だからリービ英雄に同感するわけにはいかない。けれど上記の思いはよくわかる。私がアメリカに来たばかりの当時、1970年代、ワシントンの吉野桜の風景をテレビで見るたびに、もしかして日本のよりきれいなのかもしれないと思ったことがある。それからも美的感覚については何度も考えさせられることがあった。

ある日、10マイルほどはなれたところに住んでいるアメリカで知り合いになったお友達のところに行ったとき、その近所の日本人ガーデナーの家をたずねた。お庭の草木をながめながらその家の奥さんとお喋りをしていたとき、私のお友達が「あまりお花を植えてないのね」とその奥さんに言った。たしか一、二本の白いお花が咲いていたくらいであとはほとんど緑のバリエーションだったと思う。奥さんは「お花がいっぱい咲いてるのいや。一本だけきれいに咲いているのがいい。」という意味の言葉をとぎれとぎれにつぶやいた。その時分、私は毎週植木屋さんに通ってお花を競って咲かしていたときだったから、はっとした。そしてそのときの奥さんの素朴な態度、美しいものを見るこころに尊敬の念をもった。茶道をやっている母に反発してアメリカに住んでしまって、家を買ってからそのときまでバラ80本、球根100個と、じゃんじゃかばかばか植えていてもう植えるところないというところまできていたときだったから、すごく反省するいい機会だった。母もそういうふうにお弟子さん、他人をはっとさせていたんだなぁと思った。

きっと古代の風景はどこも、日本も外国も、美しかったのだろうけれども、現代の日本のせせこましい都会はどうころんでも美しいとは言えない。それには戦争があってそのあとの外国の人には想像つかないだろう住宅難があって、それに輪をかけるように都市計画に統一性が欠けていたとかいろいろな理由があるだろうけれど、美しいと思うこころはなんにからも影響されずほかの人の価値観と比較することもせず、ただただ大事に持ち続けることができる。

Friday, December 31, 2010

リービ英雄 「我的日本語」  Part 1



A Happy New Year from San Dimas!


1.  リービ英雄作、我的日本語 P.17   日本語の特徴である、一人称、二人称の複雑な使い分け、またその使い分けによって動詞も変化するということについて。

日本人は一般的に、このことについてはただ単に「言葉使い」が良い、悪いという。でも使う機会がなかったらその場に合った言葉使いはできない。また両親、また回りの人が知っていて教えてくれていたら使えるけれども、そういう環境で育たなかったら知らない。それで言葉使いが良い悪いということはrelativeで、どんなに気をつけている人でも一生悪いと言われ続ける可能性がある。これは私の経験から言えることであって、つまり、母にしょっちゅう言われていました。

現在では多くの人が、昔悪いと言われていた言葉使いを平気で、ときには笑みを浮かべて使っている。例を言うと、ずいぶん以前のことだけれども、私の右腕だったしっかりとした若い女性が大きいということを「でっかい」と何度も言うのでざっくばらんに注意したことがある。彼女は寝耳に水だったらしい。ずーっとあとにもロサンゼルスでお友達になった私と同年輩の女性も「でっかい」と何度もいうので尋ねたら沖縄ではそれが普通だと言う。どうも私が日本のことをあまり知らなかったというわけだ。現在では日本中でそういうのかもしれない。もしかして地方では男女の言葉の差はあまりないのかもしれない。男女だけじゃなくて敬語の使い分けもゆったりしているのかもしれない。最近、横浜でも東京でも女性の「でっかい」をしょっちゅう耳にする。そういう言葉に違和感のない人にとって私のような者は差別感を持っていることになるのだろう。きっともっと女性の「でっかい」を私の耳に連発されたらそのうちに私も平気になってある日突然「でっかい」と言うようになるのかもしれない。私は案外ミーハーで流行語を聞くとすぐ使いたくなる。これからも日本で一年の半分は住んでいたら、あと五年か十年もしたら私の日本語もずいぶん変わるだろうと思う。言葉の民主化に賛成だ。


「言葉使い」という言葉自身に差別、階級性がある。それを社会問題と呼べば呼べる。差別、階級性を日本語からなくしていけるのは日本語を話し書けるリービ英雄のような外国人たちかもしれない。長く重い恥の文化をしょっていない人だったら先入観なくニュートラルな言い方で言える。回りの人からとやかく言われずに。うらやましい。例えば、P.15で「天皇皇后陛下にお目にかかる」と書いてあるけれど、これは彼のアメリカ人的voiceだ。こういう場合は言葉にうるさい編集者だったら拝謁と書くと教えると思う。たいていの日本人は拝謁にあがることはないから、もちろん私も含めて、編集者にも知らない人がいるかまたは言葉の民主化のためにわざとお目にかかるという使い方を奨励しているのかもれない。事実はわからない。

私は上の文章を読んだ時、少し考えてからこれからは「お目にかかる」でいいと思った。いにしえの悪習慣はばっさり外国からやって来たリービ英雄のような人にやってもらうのが最善の方法かもしれない。語感は自ずからは変わらない。どこまでもいつまでも恥を内から感じるから。それは言葉の杖のようななまやさしいものじゃなくて、アルツハイマーになろうが、記憶喪失性になろうが絶対にぬけない言葉の根っこだと思う。


2.「混じり文」の美しさ

これは、美しさも醜い文章も書き手のセンスであって、ずいぶん醜いのがあるけれど著名な作家にいるからなんとも言えない。だから混じっているから美しいとストレートには言えないと思う。ただ書き手のセンスでいろいろな選択肢、字の遊びができるから書き言葉としては日本語は面白い言語だという意見には賛成だ。でもこういう意見を聞いて自分の頭でよく考えもせず日本語は美しいのだと簡単に言う人がいるけれどうぬぼれてもらいたくない。私のかな書道の先生のように自由に美しく書けるのならうなづけるけれど。昔はうぬぼれる人はあまりいなかったけれど、最近の日本は変わってきた。いつの世でもどこの国でもうぬぼれるのは醜いに決まっている。


P.21  「中国人はよく日本人は神経質だという。。。ぼくは国民性というものを、ほとんど信じていない。。。。日本語を書くとき、書き言葉のなかに異質なものがあり、異質なものを常に同化するという経験をする。それが、心のはたらきに影響しているのかもしれない。。。。常にその中で生きなければならないというのは、決して、ストレートに生きるということではない。それで日本人は神経質に見えるのではないか。」

上記から、国民性じゃないけれど書き言葉が特殊で神経質に見えるのじゃないかと言う意見だけれど、だいたい神経質の傾向がなければこういう書き言葉はできなかったと思うのだけれど。どうだろう。神道のいっさいもみそぎおはらいといつもなんどきもそればかり、よくノイローゼにならないなと思うほど神経質だ。宗教も文化も言葉も精神性を高めていくのは神経質なことかもしれない。神経質同士はその中に価値観があるから外部の人が思うほど神経質だとは思っていない。私にしたって、中国人が思うほど日本人は神経質だと思っていないのかも知れない。日本人以外になったこともなることもないからわからない。でもそのわりには日本人は昔も今も論理は飛んでいるかに見えてもいっこうに平気で前に進んで行けるのは、いつも他に合わせるという、バランス感覚が働いているからかもしれない。良く言えばバランス感覚、悪く言えば鈍感。矛盾がおもしろい。

写真はおめでたい金銀の米俵、従姉が作ってくれた縮緬の木目込み兎、金銀の折鶴を琉球塗りのお盆にのせました。2011年が良い年でありますように。

Friday, December 10, 2010

かな書道

先生のお手本です。好きなのからアップロードしたら一番好きなのが一番下になってしまいました。やはり日本の句はかなで書きたいと思います。でも漢字が全くないのも絵になりませんね。日本語のおもしろさです。

飯田和子先生のセンスは抜群です。同じ字でも違う形を選んで調和をとっています。私もできたら同じ字をつかいたくないので嬉しい発見でした。文章を書くときもそういうような工夫をしています。それから渇筆といって墨を少なくして風情を出しているところは泣きたいくらいです。真似するのにけんめいにティッシューでとって練習しています。そのうちに自分の創作した詩を古代のやさしさのあるかなで書いてみたいと思います。




この句はもちろん好きなのですけれど、椿だけが漢字で強いアクセントになっていて、
そして「おとしたる」の「し」がいかにも椿が落ちていくさまを見るようです。
また、そのあとの「る」が憎いくらい可愛いいと思いませんか。

Tuesday, November 30, 2010

文芸作品を募集中!

この度、私、天野啓子がマルチ言語文芸雑誌、コンテンポラリーリテラリーホライゾンの日本での責任者になりました。この雑誌はルーマニアで発行しています。詳細は下記をご参照ください。

つきましては2000字くらいの素晴らしい作品を募集致します。ジャンルは問いません。十年以上書いてらっしゃるライターにお願いしたいと思います。このブロッグにコメント下さい。お送り先をお教えいたします。どうぞふるってご応募下さい。

http://contemporaryhorizon.blogspot.com/2010/11/clh-magazine-6-20-nov-dec-2010.html

http://contemporaryhorizon.blogspot.com/2010/10/chmagazine-issue-no-519sept-oct-2010.html